お気楽狸の徒然記録【2010.10~2013.4】

by ぽん。

プレイバックその1(1999~2001 温泉探索時代偏)

もうご存知の方もいらっしゃると思いますが、私は昨年の9月から全くクライミングをしていません。
クライミングよりももっと大事なものが現れたからです。
もっと未練が残るものかと思っていましたが、意外とあっさりきっぱり離れることが出来たことに、
正直自分でも驚きました。

それはきっと11年にも及ぶクライミングライフが本当に充実したものだったし、
心残りがほとんどなかったからだと思います。

2001年の暮れに出会い、自分でもまさかここまでのめり込むとは思っていなかったクライミングですが、
人生をより濃いものにしてくれたのは間違いなく、これまでに多くの素晴らしい経験をもたらしてくれました。

これから先、私自身またクライミングに復帰するかどうかもわかりませんが、
一旦この野外遊び雑記帳的ブログはこれを機会に、もう間もなくで閉じることにしました。

全く更新せずにいきなり消えるのもアリかなーとも思ったのですが、
最近ぼやーっと昔のことを回想することがあったりしてまして、
最後にブログの締めとして、『プレイバックシリーズ』を書いてみようかと。

これは以前コバヤン兄貴がブログで書いておられてましたね。
いわゆるパクリですね(笑)。

意外と長くなってしまうかもしれませんが、私自身にもタイムリミットが迫りつつあるので、
大急ぎで過去を振り返っていきたいと思います。
まあ大した話でもないので、読まれる方はホントにヒマ潰し程度にどうぞ。

ではでは、私にもあった(笑)20代の頃から振り返っていきたいと思います。
まずはクライミングとの出会いまでの期間を。




体操に明け暮れた大学時代。
まあ明け暮れた割には正直三流止まり。
高校から始めた人間には厳しい世界でした。

でも、高校のときのような同好会程度の活動ではなく、がっつりな部活4年間で、
自分が全日本インカレを目指し、出場することになるとは思ってもなく。
ちょこまかとした怪我はあったものの、意外と大きな怪我はなく、
ほぼ部活一色だった4年を終え卒業。

卒業とともに、もう体操をすることもないなーと思っていたところ、
2つ上の先輩から体操の社会人大会に大学OGで団体を組んで出てみないかとのお誘いを受けました。

最初は『ブランクもあるし、もう無理ですよー』と断ろうかと思っていたけれど、
今の旦那である中山君も卒業後、社会人大会に出場していたこともあり、
頑張るのも期間限定なら・・・という思いで出てみることに。

確かにブランクもあったので、人様に見せるほどの演技に戻すことは容易ではなかったけれど、
出場してみると意外と楽しく、翌年は女子の先輩も同期も誰も一緒に出てくれなかったのに、
中山君と2人で新潟大会に個人出場してしまいました。

そして、翌年、翌々年までの2年間は同輩&後輩と団体を組み、
結局大学を卒業してから4年間社会人大会には出場したことになります。


卒業して3年目の東京・町田での社会人大会でのヒトコマ。このとき24歳かー。。。
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さて、その社会人大会2回目の新潟大会は中山君との2人旅になったわけですが、
せっかく新潟まで行くのだからと、彼は温泉巡りも計画してくれていたのです。
しかも、普通の温泉施設を巡るのではなく、混浴野天風呂。

いやいやいや、『混浴』はないわ~と最初は躊躇ったものの、
水着のようにバスタオルさえ巻いて入ってしまえば、
その大自然の中で入る温泉の素晴らしさ、気持ち良さに虜になってしまいました。


温泉にのめり込むきっかけになった新潟の燕温泉野天風呂でのヒトコマ。
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それからというもの、当時はなかなか休みが取れないハードな仕事をしていましたが、
たまに取れる長期の休みを利用して、中山君と温泉巡りによく出かけるようになりました。

秋田まで自走(中山君が運転)したり、九州にも幾度となくフェリーに乗って行ったりもしました。
いつかは北海道にも行ってみたいなと。
北海道にはやっぱりバイクでしょと、その為に二輪の免許も取ったりして。
まあかくかくしかじかありまして、北海道には結局行くことはなかったのですが・・・


これは九州温泉巡りツーリングでのヒトコマ。
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しかし、やがてこの温泉巡りもよりコアな方向へ・・・
まあ、混浴のある温泉地に行くと変な人も結構いて、嫌な思いをすることもあったので、
気づけば人とは滅多に会うことのない源泉探索に興味が向き始めていたのでした。

源泉を探してはそこを掘って、自分たち専用の湯船を作って入る。
もちろん今考えるとどう考えても泥水のようなところにも嬉々として入る変態だったような気もしますが(笑)、
当時は若かったおかげか、それもとても楽しく、さらにどんどんコアな方向へ・・・。


九州の某源泉を掘る私。
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やがて車やバイクで近くまで行ける源泉のみならず、
歩いてしかたどり着けない山の源泉へと興味の対象が移っていきました。

そんなとき、温泉MLで2つの『幻の源泉』の話が持ち上がっていました。
どちらも登山の技術がないとたどり着けないような場所にあるらしいと。
すぐさま中山君と25000分の1の地形図を購入し、場所は特定出来たものの、
その当時の私たちには本格的登山の経験も道具もなく・・・。

でも、若さというのは今考えるとある意味恐ろしいものです。
大学体操部の仲間を集め、本当に勢いだけで、まずは『幻の源泉』の一つである白山仙人谷にあるという源泉を目指しました。


白山の登山口にて。
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今考えると、服装や携行する荷物は遭難必至だったかも。
もちろん行動も・・・。

お花松原の稜線から500m以上仙人谷に向かって下るはずでしたが、
1日目は悪天の為、谷底がガスで全く見えず、結局稜線上でのビバークで夜を明かすことに。
お盆を過ぎた残暑の時期ではあったけど、稜線上は強風吹きすさぶ真冬でした。
よくもあんな装備で生き延びれたなと、今では思います。

翌2日目の朝。
なかなか日が昇ってこなくて、寒さにみんなテンションが上がらず。
ようやく陽が当たり出すと、ガスはスッキリ晴れてきたので、
準備して昨日下りれなかった谷下りへと出発。

しかし、お花松原から見下ろした谷底を見て、我々は愕然。
『これ、下るの・・・?』
驚くほどの距離と傾斜。
登山未経験者にはちょっと考えられないところを、前日ガスで見えない中下りようとしていたわけです。

『どうしよう・・・』
皆で顔を見合わせたものの、ここまで来たのだからと結局下りることに決定。
ロープも誰も持っておらず(持ってても使い方わからんかったけど)、
滝が現れたらひたすら薮漕ぎして巻き下りる・・・の繰り返し。
疲労でクタクタになりかけた頃、ようやく奇跡的に源泉にたどり着けたのでした。

源泉自体はそんなにドバドバ出てるようなものではなかったけれど、
宝を探し当てれたような達成感があり、浅い湯船にしかならなかったけれど
心地よく入湯を果たして、また来た道を戻って行きました。
帰路もいろいろ遭難必至な出来事があったなぁ。今更ながら・・・。


仙人谷の源泉入湯中。
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一歩間違えば軽く遭難していたであろう白山行からなんとか無事下山した後、皆とわかれたその足で、
もう一つの幻の源泉である黒部・餓鬼谷に湧くという源泉を、後輩のG君と中山君の3人で目指しました。

トロッコで終着駅の欅平まで行き、そこからかの有名な水平歩道を辿って、
餓鬼谷出合から500mほど下を流れる黒部川へと下りるのが1日目の行程です。


断崖絶壁にある黒部・水平歩道。道幅も狭い・・・。
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しかし、餓鬼谷出合には辿り着いたものの、水平歩道から断崖絶壁を下りる術を知らない我々は、
これまた遭難必至な出来事に遭遇。
当時消防士志望(現・消防士)だったG君がいなかったら、死んでたか救助隊を呼ぶ羽目になってたでしょう。

水平歩道に這い上がれたときにはとっぷり日も暮れて、そのままそこでビバーク。
夜中じゅう獣の気配がして、結局一睡も出来ずに夜を明かしました。


水平歩道でのビバーク翌朝の風景。
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結局黒部川に下りるルートを見つけることが出来ず、我々は敗退して帰路に着きました。
諦め切れない3人は、半月もしないうちにリベンジに訪れ、今度は黒部川にはなんとか下りれたものの、
沢登りの技術がない為に、餓鬼谷が始まる大きな滝を登れずに敗退。

下りてきた斜面を這い上がり、その日は阿曽原小屋で泊まることにしました。
小屋にたどり着くと、山奥でありながらなんとテレビがついており、
アメリカの同時多発テロ事件が大々的に報道されていたのを思い出します。

夕飯時に話しかけてくださった小屋の親父さんと色々会話する中で、
『君たちはクライミング技術を学ぶべきだ』と言われました。
『関西ならばクライミングジムがあるのだから、そこで技術を磨いてもう一度来なさい』と。

あの一言がなかったら、今の私たちはいないのかもしれませんね。
いい出会いでした。
今も元気にされてるのかなぁ。

そして、この旅から帰ってすぐに、クライミングジムとやらに出かけてみることになるのでした。
続きはプレイバックシリーズその2で・・・。
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by ponchika | 2013-04-22 10:30 | プレイバックシリーズ